少女マンガは、日常の中の奇跡たちが詰まってることを大人になって知る
現実にあることが、漫画の中の世界で描かれている。
少女たちが憧れてやまないアクションが溢れているのが少女マンガ。
毎日が、少女マンガのようなキラキラで溢れているわけではないけれど、世界中の奇跡を集めたら、日常の中に溢れていることでもあったりすると思うんだ。
世界中の奇跡が断片的に散らばっているのが、少女マンガのキラキラであると信じている。
昨夜、Instagramで好きな作家さんの「#」を見ていたら、高校生になり、絶望している女の子の投稿を見た。
「高校生になったら、もっとマンガみたいに楽しいことで溢れていると思ってた」
わかる。
私も思ってた。
でも、今思えば、高校生の頃は楽しかったと思う。
脳内は、勝手なもので、美化をする。
毎日楽しいわけはない。
楽しいことが、記憶に残っていて、戻りたいとか思う。
毎日人は少しずつ、気づかないくらいの大きさで成長をしているというのに。
今の気持ちで、今の自分で高校生に戻りたいと思うのは当たり前なのかもしれない。
私も、小学生の頃からずっと少女マンガで育ってきたから、“高校”という舞台はよく使用されるものだし、高校生になったら、どんな素敵なことが待ってるんだろうって、思ってた。
でも、日常は、ただの日常であり。
素敵なことが、毎日起こるわけではないのです。
少女マンガのキラキラフィルターは、なかなかかからない。
現実は、容赦無くリアルを映し出す。
小さい頃、プリンセスに憧れて、王子を夢見て待ってしまうかもしれないけれど、大人になって気づく。王子は勝手になんてこないこと。
自分で探しにいくしかないことを。
待っていたら幾つになってしまうんだろう。
大人になれば、気づく。
シンデレラがガラスの靴を落としたワケを。
現実は、ロマンチックなことばかりではない。
食べたら食べただけ太るし、努力をしなくては綺麗ではいられない。
現実はいつでも容赦ない。
でも、そんな現実を知っても、希望は捨てたくないから。
現実逃避ではなくて、奇跡を起こしたいという力を夢見て起こす。
暗いことばかり考えていても、人生が楽しくなくなっちゃうし。
漫画は、次の世代へのメッセージだと思っている。
希望を捨てちゃダメだというメッセージ性を強く感じる。
だから、幾つになっても少女マンガは大好きなのかもしれない。
今日もどこかで、奇跡がどこかで起こっている。
少女マンガのような展開が、どこかで起こる。
漫画ほどの奇跡は起こらないけれど、行動次第では奇跡は起こる。
そう信じて、原動力にし活動力に漫画を読む。
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