正直に話すことが正しいとは限らないのかもしれない【8月の報告】
海にも行かず、ほん怖も見れずに夏が終わってしまいました。
もりー (@morymolly247↗︎)です^ - ^
ほん怖は、10月に20周年スペシャルが放送されると決まって、嬉しいかぎりです。
私の8月とは言うと、全てにおいて、勉強の一言につきました。
(学生時代の私を知っている人がいたら驚くでしょう。勉強今とっても楽しい♡)
人との距離感、英語の勉強、心理学の勉強、編集の勉強、ネイルの勉強。
思考は、“正しさ”について考えていました。
一般的な正しさって、誰が決めるのか。
「普通」ってなに?
大多数の意見が普通になるのなら、少数派の意見は普通ではなくなる。
主観的なものが、普通になる。こわい。
ほん怖より、こわい。
人間の方が怖いから、幽霊は怖くないのもかもしれない。
いやでも幽霊によるのかもしれない。わかんない。(うるさい)
悪口とか、周りにいるみんなが言ってたら、正しいって、ちょっとは思ってしまうなって、聞いてしまって、思ったんです。あいにく(?)私は自分で見たものしか信じないを決め込んでいるので、スルーでしたが、ちょっとは騙されそうになる。それさえ嘘かどうかとかも何もかもわからないけど。
自分にとって、害だと思うものが、普通だとは思いたくないなぁというお話でした。
そして、こう思ったということをむやみに誰彼構わずに話すのはよくないのかもしれないと思ってきた今日この頃。さすがに人は選んでいるけど、私は人を見る目があるということは自負しているけど!! でも、段階を踏まなきゃなと反省している。誰にも何も言われてないけど、前にも話したやばい奴の定義を思い出しちゃって。
人間、存在するだけのストーリーがある。
生まれも育ちも、趣向も、何もかもが違う人間がたくさんいて、すべての人とわかりあうなんてことは難しい。
だけど、諦めたくなかった。
意見交換をし合えば、お互いが違う人間なんだと認め合って、尊重し合うことができるかもしれないと思った。でも、それは思った以上に、難しいことだった。
例えば、私が浮気をするなら「浮気をしてもいいですか? でもあなたとも付き合っていたいです」ってきっと言ってしまう。正直に。嘘をつくより良かれと思って。
でもたいていの人は、そんなこと言わないで浮気をするだろうし、そんなことを言われて、「はい。じゃあ、浮気をしてもいいですよ」なんて承諾してくれる人はきっとそういない。
そして、「浮気をしても墓場まで持っていってほしい」と思う人もいると思う。
それが優しい嘘というか、まぁそんなのしちゃいけないということが前提なのだけど。
嫌いない人がいても、「あんたのことは嫌いだよ」って見せないのが大人だし。
私は今まで、なんでも正直すぎた。
それこそ、尊重し合えなかったのは私だった。
細かいことを気にしていたら何も発言できなくなるけど。
だって、誰がどの言葉で傷ついて、助けられるかなんて、それこそ人間の数だけあるだろうし。
前回に引き続き、「自分が正しいと思うことを選択する」。
これしかない。
でもやっぱり私がただ変わってるだけなのかな。
だから、私の普通は普通じゃないのかな。
最近、「普通に」とか言えなくなってしまった。
「普通にさぁ〜」とか言ってたのが、もうほん怖。
ああ〜も〜わかんないな〜〜〜〜〜。
この問題に解決策はあるのか。
ごめん、忘れて。って、この会話が友だちとだったら最後に言ってるかもしれない。でも書いておく。8月は、バタバタしながらも頭の中は正しさについてでいっぱいだったから。
ちなみに8月もプラネタリウムを見ました。
ジープ島、二ヶ月で4回も見ちゃったよ・・
あのプラネタリウムに着席する瞬間が幸せだとニヤケてしまって、まだやめられそうにない。
⬇︎ LINE@から ⬇︎
最新の更新情報
限定記事のパスコード
お知らせ等を受け取ることができます